眠る君へ捧げる調べ

       第6章 君ノ眠ル地ナバラーン〜紫龍編〜-6-

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「テスリラの名工?」慧は朝食を食べながらニコライに言った。

「ええ。テスリラはあまり一般的な楽器では無いので

 作る人がそうそういるわけではありません。

 シュミレフのミリュナンテとの国境沿いの山に

 テスリラの名工がいるという話なのですが・・・

 何しろ気難しく、なかなか作ってくれないという話です。」

「気難しいの?何で?」

「それは、よくはわからないのですが。紫龍の当主も断られたという話です。」

「そうなんだ・・う・・ん、でもテスリラの調子おかしいし

 ここのテスリラ、コンクールに持っていけるわけじゃないしね・・。

 でも、テスリラ高そうだしなあ。」

「ここのテスリラも昔誰かが寄付してくれたものですしね。

 それに、テスリラの職人はあんまりいないのですよ。」

「じゃあ、とにかくその人に会いに行きたいなあ。

 ニコライ、連れて行ってくれる?」

「わかりました。じゃあ、朝食を終えたら温かい服装で待っていてください。」

ニコライは優しくそう微笑んで言った。




慧は、自分の部屋に戻り上着を着てフェルからもらった白い帽子とマフラーを

巻き、手袋をはめると、ニコライが来て龍になると一飛びにシュミレフの国境沿いの山に

ついた。

国境沿いの山は、結構高く雪が残っている。



それらしい小屋の近くにニコライが降りると、慧はその小屋の戸をノックした。

「誰だい?」と低い男の声がして戸が開いた。

男は、大柄でもじゃもじゃの髭をたくわえている。

慧は思わず「すごい・・髭・・・。」と呟くと目の前の男は豪快に笑った。

「坊主、面白いな。まあ、立ち話も何だから入れよ。」

そう言いながら、戸を大きく開けた。



慧とニコライが入ると男の妻が熱いお茶と菓子をテーブルに出してくれた。

妻は、黒いベールをかぶっているがとても優しそうだった。

男は大きな椅子にどかりと座ると慧に笑いかけて言った。

「どうした?みるからにシュミレフの人間でなさそうだな。

 まあ、ちびっこいの。菓子でも食え。」

そう言いながら慧の目の前の木皿に菓子を置いてニコライの方に向いた。

「私どもはミリュナンテより参りました。

 この子がどうしてもあなたに頼みたいことがあると言うので

 聞いて戴けませんか?」



慧は、温かい飲み物を1口飲んで言った。

「今、私はテスリラを弾いているのですが、数日前から音が

 狂ってきました。それで直し方を教えて欲しいのですが・・・。」

慧はあえてテスリラが欲しいとは言わなかった。

「坊主がテスリラねぇ・・・。それ食べたら、工房に来るか?」

男がそう言ったので慧はコクリと頷いた。



男の後について、母屋の後ろに作られた工房に入ると、

色々な部品が所せましと置いてあった。

男は、奥の部屋の扉を開けて中に入っていった。



慧もその後に続いて部屋に入ると思わず自分の目を疑った。

部屋の奥に見たことがある楽器が鎮座していたのだ。

「うそ・・・ピアノだ。」慧は驚いたようにそのそばに行って

グランドピアノを撫でた。



「ピアノフォルテという楽器だそうだ。

 これは、2代前の妃様が先祖に依頼されて作られたが

 なかなか納得がいく物ができなかったうちに妃様がお隠れになり

 代々の者が、この楽器を改良してここまでなった。

 しかし、正直テスリラの方が良く聞こえるような気がするが・・・。」

慧は男を見あげて「弾いていい?」と聞いた。



男は、「本当にこれでいいのか?テスリラと違うんだぞ。」と言ったが

慧が頷くとピアノの蓋を開けてくれた。

慧は椅子に座ると両手をピアノにおいてまずは音階をそのまま弾く。



本当にピアノの音がしたので、慧はブルグミュラーの「せきれい」

という曲を弾きはじめた。

これは、慧が初めて伯母にピアノを習った時、教えてもらった曲だ。



慧は休みもせずに、子犬のワルツやクレメンティのソナチネ を弾き始めた。

・・・練習していた時は、嫌だなあと思っていたんだけどなあ・・・



慧は時間を忘れていた。



とにかく、覚えている曲を片っ端から弾いていた。

伯母に教えてもらった曲、友達とバンドの真似事をしてキーボードで弾いた曲、

合唱コンクールの伴奏、そして・・・

慧は、ショパンの『英雄』を奏でた。



これは、伯母に最後に教えてもらった曲だ。

伯母は、「病気が治った時はポロネーズ聞かせてね。」と言っていたのだが

聞くことなく旅立ってしまった。

慧はそれからピアノを弾かなくなったのだ。




慧の頬には涙が流れていた。

ポロネーズを弾き終わった途端、慧はニコライに後ろから

ぎゅっと抱きしめられた。



・・・ああ、私は泣いていたんだ・・・



ニコライに涙を拭われて慧はそう感じた。



2人の後ろには、男とピアノの音色を聞いてやってきた

男の子供達が2人驚いたように立ち尽くしていた。




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